悪の教典(下)。
結論から言いうと、すばらしい作品。
激しく共感した作品だが、一体何に共感したのだろう。
それはきっと、誰もが多かれ少なかれ持つ暴力性等に代表される反社会性、それでも周りに同調するため、擬態をしている自分自身と、その抑制から解放されたいと願う自分自身を生き写したような主人公の振る舞いの爽快さだと思う。
この作品が映画化されたとき、試写会に出ていた某アイドルがその惨殺なシーンを見て、気分が悪い、とこの作品を批判していた。それはある意味では正しい反応だろう、だが正解ではないと思う。
それは、この物語の一面、それも表面のほうしか見ていないからだ。
なんちゃって文化人が受け取ったメッセージは、先に書いたとおりだ。
ほとんどの人は擬態している自分に疑問を持ち悩んでいるのではないかと思う。
なぜなら、擬態自体が本来不要なはずのものだから。
では、悩みはどうすれば解決するか?と考えたときに、ぱっと思い浮かぶ事、それは自分自身の限界(枠)を取っ払えばいいのだ、という事だ。
しかし、社会性を重んじる人はそこでまた葛藤をする。
それが理性だと思う。
それはきっと、誰もが多かれ少なかれ持つ暴力性等に代表される反社会性、それでも周りに同調するため、擬態をしている自分自身と、その抑制から解放されたいと願う自分自身を生き写したような主人公の振る舞いの爽快さだと思う。
この作品が映画化されたとき、試写会に出ていた某アイドルがその惨殺なシーンを見て、気分が悪い、とこの作品を批判していた。それはある意味では正しい反応だろう、だが正解ではないと思う。
それは、この物語の一面、それも表面のほうしか見ていないからだ。
なんちゃって文化人が受け取ったメッセージは、先に書いたとおりだ。
ほとんどの人は擬態している自分に疑問を持ち悩んでいるのではないかと思う。
なぜなら、擬態自体が本来不要なはずのものだから。
では、悩みはどうすれば解決するか?と考えたときに、ぱっと思い浮かぶ事、それは自分自身の限界(枠)を取っ払えばいいのだ、という事だ。
しかし、社会性を重んじる人はそこでまた葛藤をする。
それが理性だと思う。
理性が本能のままに行動する事を抑制する、
そして、過去から生きてきた環境によって、社会性から逸脱する事を悪と考えてしまう。
だからこそ、この作品の主人公の行為は、目をつぶりながらもいろんな人の共感を得るだろうと思う。
自分自身に枠がなかったとき、行きつく先は誰もが同じように至ってシンプルなのだ、己は己にのみ従う。
何かが少し違っただけ。
怪物とはそうじゃない人からの意見なのだ。
そして、過去から生きてきた環境によって、社会性から逸脱する事を悪と考えてしまう。
だからこそ、この作品の主人公の行為は、目をつぶりながらもいろんな人の共感を得るだろうと思う。
自分自身に枠がなかったとき、行きつく先は誰もが同じように至ってシンプルなのだ、己は己にのみ従う。
何かが少し違っただけ。
怪物とはそうじゃない人からの意見なのだ。